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バーコンのSuper Waveブログ 1号館

ニュース・イラスト&漫画で構成される『バーコンのSuper Waveブログ』。1号館はバーコンニュースをお届け!

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任天堂元社長・山内溥氏死去

バーコンニュース No.090

2013年9月19日、ゲーム・玩具メーカーの任天堂の3代目社長(1949年 - 2002年)・山内溥(ひろし)氏が肺炎のため京都市の京都大学医学部附属病院で死去した。85歳だった。
山内氏は20歳の頃の1947年、花札・トランプ製造会社の合名会社山内任天堂の販売子会社であった株式会社丸福(当時)の設立時に取締役に就任。その2年後である1949年、祖父で2代目社長の山内積良が病気で倒れ、大学を中退し22歳の若さで株式会社丸福かるた販売(当時)の代表取締役社長に就任。
1953年には日本初のプラスチック製トランプを開発。多角経営の道を探ることになり、親戚にタクシー会社の経営者がいたことから1960年にダイヤ交通株式会社を設立したのを皮切りに1961年には近江絹糸と共同出資で三近食品を設立、いずれも代表取締役社長に就任。その他にも任天堂本社でも他業種に進出したが、ノウハウ不足などによりことごとく失敗。1964年に一転倒産危機に直面することになり1965年に三近食品、1969年にダイヤ交通の経営から手を引いた。迷走状態の最中だった1966年に『ウルトラハンド』で大ヒット。1970年の『光線銃』のヒットを機に多角経営路線を諦めた。
1980年に携帯ゲーム機『ゲーム&ウオッチ』を発売、1983年に据置型ゲーム機ファミリーコンピュータ』を発売し大ヒットさせ、世界的なゲームメーカーに成長させた。さらにその後2002年に社長を辞めるまで1989年に『ゲームボーイ』、1990年に『スーパーファミコン』、1995年に『バーチャルボーイ』、1996年に『NINTENDO64』、2001年に『ゲームボーイアドバンス』『ゲームキューブ』を発売させた。
2002年にHAL研究所から同社取締役へと呼び寄せていた岩田聡に社長職を譲り、取締役相談役に就任。2005年には取締役を辞め相談役になるが、長年の功績に対する慰労金として12億3600万円を提示されていたが『それよりも社業に使ってほしい』とこの申し出を断っている。
9月21日に通夜、22日に葬儀・告別式が任天堂本社で行われ、京セラの稲盛和夫名誉会長やパナソニックの大坪文雄特別顧問ら約2000人が参列した。葬儀委員長の岩田聡4代目社長が『ビデオゲーム文化を世界に普及させ、世の中に笑顔を増やすことに貢献をされた』とあいさつし、コピーライターの糸井重里は『山内さんは僕の人生も面白くしてくれた』と涙声で述べた。

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